実際に訪れた場所の風景を中心に制作している。それは存在していた証跡が消滅してしまえば、最も人間らしい感情である好奇心の芽を摘む不幸なことだと思っているためだ。人が住み、立ち入った記憶が宿っているその場景の、あらゆる時系列の断面をひとつの画面に閉じ込める。まとわり、引き留め、歪み、溶け出してひび割れた画面が表すように勃興と衰退を繰り返す生命的なサイクル向こう側に、中立する何かを作り出せるかもしれない。

 

Under the theme of accumulation of the time, I create works mainly based on the scenery of the place that I visited. If the evidence that existed becomes extinct, it will pinch a bud of the curiosity that is human feelings. I think that it is unhappy. I want to shut in the scene that a person lives and every chronicle to one screen. I may create something neutral according to a cycle of the life repeating a sudden rise and the decline.

 

 

客観的事実を収集しやすくなったはずの現在において、ポスト真実という言葉が流行し、感情に訴えるメディアが人々の心を掴むようになった。欲望のまま事実を見る。社会に属している以上、私たちには国や立場が宛がわれてしまうので、階層が発生し、バイアスがかかることは仕方がないことかもしれない。その中で小さな島国の東北出身者が中立した何かを求め、私というバイアスがかかった事実を表す作品を世に残したいと考えるのは特段不思議なことではない。風景や土地というものはとても土着的なもので、過去に表現主義の作家が土俗的・原始的な文化様式から現代生活の感情や精神を見出そうとしたように、不満や事実を曲解する風潮が蔓延る中で筆致を使用する作品は自然のことだと思う。自動生成され、ヒット数を稼ぐだけの無限ではないネットを貪る中身のない情報が霧のように包む中で、文字通り地に足をつけて長い年月の地層を感じつつ、行く先を考えて制作をする。